意識の歪みは、捉え方の歪みに繋がる。
捉え方の歪みは、苦しみや辛さを生む。
整体師ならぬ☆整意識師☆眞述 零です。
今回は、零さんの話を交えて語っていきましょう。
零さんは、11年くらい前のある時、ひょんなことから、真我という言葉と出会います。
真我って、なんだ?
何かわからないけど、どうしてもその言葉が気になって気になって仕方なくなります。
そこで、セッションを受けてみることにしました。
セッションを受けても、わからなかったです。
ふつ〜な感じ。
興味は湧いてこなかったけど、何故だか、そのセッションを継続することにしたのです。
今思うと、まるで導かれたかのよう。
そもそも、真我って何よ?
この疑問は当分、続きます。
探求の始まりです。
セッションを始めると同時に、真我関連の本を読み始めます。
ラマナ・マハルシさんやら、ニサルガダッタ・マハラジさんやら、フーマンさんやらの本を、一日一冊以上読んでました。
かなりたくさん読み漁りました。
ほとんど意味がわからず、何が書いてあるのかも把握できないのに、楽しいんです。
途中、腑に落ちることが多々やってきてました。
本を読んでいると、今度は、自我という言葉に出会います。
ん?
自我?
自我も知らなかっんです🤣
真我と自我。
真我は、真の我。
自我は、自らの我。
その時の零さんは、どちらも自分じゃんという感覚で、
違いがわからなかったのです😅
一瞥体験もしたけど、
子どもの時から霊感があるために不思議体験はたくさんしてきたので、
その一瞥体験も、不思議体験の一つな感じで、特別だとか悟ったとかいう思いはなかったです。
そんな感じで、セッションも本もわからないけど楽しくて、
ただただ楽しいというだけで、進んでいきます💨
今もそうだけど、
一度も幸せになりたいとか悟りたいとか思ったことがありません。
楽しいだけなんです。
それから3年後、師から離れ、ひとりで探求は続きます。
腑に落ちたこともたくさんあり、不必要なものがずいぶん、削ぎ落とされました。
知れば知るほど、この世の仕組みがわかってきました。
また数年後のある日、真我、本当の自分を知ってしまいました。
探求の終わりです。
それと同時に、
あぁ、悟りっていうものはないんだなっていう感覚がやってきました。
そうなんです。
最初っから、悟りなんてものはなかったんです。
意識の歪みがそう思わせていただけだったんです。
最初っから、みんな、悟ってる。
みんな、本当の自分。
だけど、探求したからこその結果なので、
最初っからそうであっても、探求が必要なんです。
腑に落とすためには、意識の歪みを正していくことが必要なんです。
誰もがいつかはやってくる道。
最終地点。
家からスタートした旅の終わりは、家でした🤣
過去生を含め、人生って、本当の自分を思い出す旅。
夢物語。
これは、零さんのひとつのドラマ🤭