意識の歪みは、捉え方の歪みに繋がる。
捉え方の歪みは、苦しみや辛さを生む。
整体師ならぬ☆整意識師☆眞述 零です。
どの瞬間も、本当の自分が全体を見て、緻密に考え、
完璧な今という瞬間を創ります。
っていうと、
本当の自分にも思考があるのかってことになっちゃいますが、
思考はありません。
そんな感覚という感じで捉えてもらったらいいと思います。
どの登場人物にもプラスになるよう、完璧な現実を創ります。
なんだけど、
いつも欲望を持って理想を追い求めてる自我、エゴにとっては、
不平不満だらけで、もっとこうなりたい、もっと、もっと・・・と、
自我、エゴにとって不都合な現実は変えようとします。
ただ、この現実を創っているのは、
本当の自分であって、自我、エゴではありません。
どんなに、不都合だ〜!と言ったところで、
それを変えるだけの力は持ち合わせていないんです。
だけど、変えようと頑張ってしまう。
それが、自我、エゴなんです。
そして、苦しい辛いというのも、自我、エゴなんです。
車の運転でいうと、
運転席に座って運転してるのは、本当の自分。
助手席に座って、文句を言ったり、駄々をこねてるのは、自我、エゴ。
という感じ。
自我、エゴの言うがままに、もっと、もっと・・・とすればするほど、
今を受け入れてないことになるので、もっともっと・・・が、続いていきます。
ほとんどの人が逆をしてるように感じます。
逆というのは、
自我、エゴの思い通りにしようとするための方法を躍起になるってことです。
だから、ますます辛くなる。
どの瞬間も完璧なので、まずは、そのまんまの今を受け入れる。
それが不思議なカラクリで、
受け入れれば受け入れるほど、スムーズに整ってきます。
なんだけど、
自我、エゴは、受け入れると、変わらないっていう感覚を持ち出すんです。
そこが、また自我、エゴの策略なんです。
これが歪みの元です。
ただし、受け入れようとして、
念仏のように、これでいい。これでいい。と思い込んでも、
なんの意味もありません。
思い込むのと受け入れるのは違いますから。
ここ、勘違いしないでくださいね。
こんな風に、自我、エゴのことを書くと、
自我、エゴは悪いんだと勘違いされるかもしれませんが、
悪いわけではないんです。
元々、自我、エゴも本当の自分の一部ですから。
悪者にしないでくださいね。
可愛いやつなんです。