意識矯正茶房

真理のような、目醒めのような、非二元のような、気づきのような、ノンデュアリティのような、諸々等のお話です☆

2種類のどっちでもいい

意識の歪みは、捉え方の歪みに繋がる。

捉え方の歪みは、苦しみや辛さを生む。

 

 

整体師ならぬ☆整意識師☆眞述 零です。

f:id:seiishikiin:20211018180418p:plain

そういう時もあるのだ

選択を迫られて、

どっちでもいいよ〜

とか

何でもいいよ〜

とかの返事をすることはありませんか?

 

例えば、

晩御飯、何食べたい?

って聞かれた時、

何でもいいよ〜

って答える。

とか、

これとこれ、どっちがいい?って聞かれる時、

どっちでもいいよ〜って答える。

とかね。

 

この、何でもいいとかどっちでもいいとかは、

大きく分けて、2種類ある。

 

 

甲乙つけがたい場合と

考えたくないとかお任せしたいとかのどうでもいい場合。

 

甲乙つけがたい場合は、

本気で考えて、どちらもいい時。

 

どうでもいい場合は、

本気で考えようとせず、投げやりな時。

 

 

なんだけど〜、

何でもいいとかどっちでもいいって言われると、

自分とのことは、どうでもいいんだと捉えがち。

 

 

返事の仕方と自分との関係性は、無関係。

別物。

 

まぁ、投げやりな返事をされると、

ついつい、関係性に結びつけちゃうのもわかるけどね。

 

 

不要なこだわりがなくなればなくなるほど、

どっちでもいいってことが増えてきます。

 

本当の自分って、何にもこだわっていませんから。

ただそうなっただけ。

ただそうであるだけ。

そういう捉え方。

 

 

自分を知れば知るほど、

自然と、不要なこだわりがなくなってきます。

 

なので、まずは、気づきましょ。