意識の歪みは、捉え方の歪みに繋がる。
捉え方の歪みは、苦しみや辛さを生む。
整体師ならぬ☆整意識師☆眞述 零です。
人間ってね、自分以外の人を分析するのがうまいよね〜
びっくりするくらい。
天下一品。
それは、身体の作りからそうなるんだろうけど。
目は、自分の外を見るようになってるし、
耳は、自分の外の音を聞くようになってるし、
鼻は、自分の外の匂いを嗅ぐようになってるもんね。
だから、自分の外側に意識が向くのは、ある意味仕方ない。
人を見ては、自分との違いから判断して、
不平不満を募らせる。
あれができない。
これをこうした。
文句ばかり言う。
反発してくる。
あり得ないって。
人を分析するのと同じくらい、自分を見ればいいのにぃ。
零さんは、人が自分以外の人をそう見ることを中学生の時に知った。
その時、思ったのは、
そういう風に人を見るんだ〜
分析判断しながら人を見るんだ〜
すごいなぁ。
ってこと。
真似しようと思ったけど、そのことはすぐに忘れて、見れなかった。
だから、人が自分以外の人を評価している話を聞いては、
自分の目で確かめるってことをしてたんだ。
すると、
確かにそうだなぁと思う時もあったけど、
そうじゃない時もあった。
ここで知ったのは、人の判断評価は、当てにならないってこと。
どうして評価判断するんだろうね。
自分はこんなにも気付ける。
自分の方がすごい。
と思いたいから?!
それとも、無意識にしてるのか。
癖?!
非二元に出会ってすぐにわかったのが、
判断評価は、することが悪いわけじゃないけど、しなくてもいいこと。
むしろ、する必要のないこと。
ひょっとしたら、
自分以外の人への判断評価は、自分に目を向けた時の練習かもね〜
自分を判断評価するってことじゃなく、
自分の見方を知るための。
自分って、都合のいいところばかり見て、
なかなか真っ直ぐに見れてないもんね〜
どうしてそうなるのか。
それは、自分の理想と良い悪いがあるから。
そのまんまの自分を、そのまんま真っ直ぐ見れるといいよね〜
自分以外の人を知るより、まずは自分を知れ。
なんか、もっと深い言葉がやってきてたんだけど、
やって来なくなっちゃった。
ということで、また〜