意識の歪みは、捉え方の歪みに繋がる。
捉え方の歪みは、苦しみや辛さを生む。
整体師ならぬ☆整意識師☆眞述 零です。
いや〜
言葉の捉え方っていろいろありますね〜
いろいろあるから、誤解したり、勘違いしたりして
難しい。
ここ数日、平等と対等って言葉がやってきてて😅
平等といえば、男女平等が一番に思い浮かぶ。
男女平等だから、
性別を問わず、何もかも同じでいいんだよ〜
って捉え方が多いと思うんだけど、
その捉え方って、どうなんだろう。
現実世界に存在してる、人、物、動物、ありとあらゆる物は、
本当の自分の現れという意味では、もうすでに、平等なんだよね。
もうすでに平等。
でも、それぞれの役割が違うので、
一見、平等じゃない様に見えるかもしれない。
でもそれって、見かけ、表面的なことだよね。
本質は、同じ。
もう平等。
なので、そのまんまでいいんじゃないかなぁと思う。
男性も女性も同じことをすることが平等という捉え方は、
歪んでるんじゃないかと思う。
そもそも、身体の作りが違うのは、なぜなんだろう?
そこにわざわざ違いがあるのは、それが必要だから。
男性は男性の役割をする。
女性は女性の役割をする。
同じことをしなくても、
それぞれの役割を演じることで平等となる。
いずれ、男性が子供を産める様になるか?
ならないでしょ。
いずれ、女性が精子を作れるようになるか?
無理でしょ。
平等という言葉の捉え方が変な方向に行ってる様な気がするんだよね。
今、女性が男性と同じようになろうとしてるから、
婦人病が多いでしょ。
病気になるってことは、何かが違ってるんだよ。
苦しくなるのは、何かが違ってるんだよ。
それぞれの役割を演じるだけでいいんだよ。
対等も同じ。
もうすでに、全てが対等なんだよ。
役割が違うだけ。
社長という役割。
社員という役割。
親という役割。
子という役割。
友達という役割。
先生という役割。
生徒という役割。
ブログを書くという役割。
ブログを読むという役割。
その役割は、その時その時で変わるので、
その時その時、違う役割を演じるだけ。
それぞれの役割を演じることが、平等、対等なんだよ。
そこを勘違いするから、変なことになっちゃう。
今、零さんは、この記事を書いているので、
ブログを書く役割を果たしてるだけ。
何をしたって、
何をしなくたって、
平等で対等。