意識矯正茶房

真理のような、目醒めのような、非二元のような、気づきのような、ノンデュアリティのような、諸々等のお話です☆

み〜んなで、ひとつの集団生活をしている

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意識の歪みは、捉え方の歪みに繋がる。

捉え方の歪みは、苦しみや辛さを生む。

 

 

整体師ならぬ☆整意識師☆眞述 零です。

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落とす係、拾う係、何もしない係〜

ふと浮かんできた。

まだ、仕事という形ができてない頃、どんな感じだったんだろう?と。

何を仕事にするかではなく、

生活環境に合わせて、できることをしていただけだったのではないだろうか。

したいからしたのではなく、生きるために。

 

 

例えば、

海が近ければ、食料として魚を取りに行ったと思うんだよね。

でもそれは、売ろうとしてではなく、自分たち家族が食べる目的。

それを毎日していると、しぜんと知恵を得て、たくさん取れるようになった。

取るとしても、食べられる量のみ。

それを見ていた人が、分けてほしいと言ってきたので、分けてあげた。

でも、家族分しか取ってなかったので、次からは、分けてあげる分も取るようになった。

分けてもらった人は、もらってばかりじゃ申し訳ないので、

お返しに、自分の家に多くあるものを渡した。

 

それを繰り返しているうちに、

しぜんと仕事という形が出来上がったんじゃないか。

 

そんなことが思い浮かんだ。

 

 

今とは、逆だなぁと思った。

 

 

今は、何を仕事にするのかを決めて、それに必要な学びをするでしょ。

そうじゃなくて、できることが仕事になっていったって感じ。

好きとか嫌いとか、したいとかしたくないとかじゃなくてね。

 

 

時代の違いなのかなぁ。

 

 

でも、ひょっとしたら、

昔の方が、自然な感じなのかもね。

 

 

どの仕事が儲かるかっていう欲でするのではなく、

できることを仕事にする。

 

なんか、爽やかな感じがするなぁ。

 

 

零さんの感覚で言うと、

仕事も役割分担って感じ。

現実世界にいるもの全員で、ひとつの集団生活。

 

その集団生活から出ることはない。

というか、出ようとしても出れない。

 

誰ひとりとして、不必要な人はいない。