意識の歪みは、捉え方の歪みに繋がる。
捉え方の歪みは、苦しみや辛さを生む。
整体師ならぬ☆整意識師☆眞述 零です。
欠点とは、字の如く、欠けている点。
欠点なんて、誰にもないんです。
ただ、得手不得手があるだけ。
不得手は、欠点ではありません。
欠けているのではなく、得意ではないだけ。
現実世界は、本当の自分の現れです。
私たち個人も現れです。
まったく同じ個人は、ふたりといません。
なぜなら、
本当の自分は、自分を知るためにこの世界を創ったので、
外見も内面も反応も経験も、まったく同じ人を創り出しても意味がないから。
もし、ロボットのように、プログラム通りのまったく同じならば、
物語ができないのです。
だから、得手不得手もみんな違う。
似ているかもしれないけど、まったく同じではないのです。
その不得手を、人と比べて、欠点と捉えるから、辛くなるんです。
先日、お客様がセッション中に、
人と同じように話の内容が理解できないんです。
と言われてました。
それを欠点として捉えるから、
自分はなんてダメなんだ〜
となるわけです。
苦手なだけです。
得意分野ではないだけ。
もし、この世に自分しか人間が存在しなかったら、
人と比べて自分にダメ出しはしませんよね?!
欠点だとも言いませんよね?!
まぁ、得手不得手もありませんけどね。
比べる人がいないから、ダメとも欠点だとも思わないんじゃないでしょうか。
できる人を知らなければ、こんなもんなんだ〜で終わるはずです。
欠点というのは、
誰か人と比べるからそう感じられるだけ。
この世に、欠けている人はいません。
欠点という名前をつけるかつけないか。
それだけです。
ちなみに、
零さんは、文章を書くのは不得手です(笑)
開き直るとか諦めるとか、そういうことではなく、
不得手っていうだけです。
不得手があるから得手がわかるんです。
得手があるから不得手がわかるんです。
そうやって、自分を知っていくわけです。
そういう現実世界を創った本当の自分は、
それを見て(厳密には見てないですけど)、
自分を知っていくのです。
欠点という捉え方を、不得手という捉え方にしてみませんか?
気分も違うと思いますよ。